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部活動が廃止されて地域活動へ移行し、学校の施設を地域で活用できるようになった世界の話を。

投稿日:2016年09月13日
最終更新日:

部活問題を解決する超必殺技が「部活動システムそのものの廃止」であることは当ブログでも散々主張していますが、今回は部活動が廃止された後の世界の話をしている記事を紹介したいと思います。

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部活動はこれまで「ほどほどに楽しくやりたい人」と「全てを投げ打って勝ちに行く人」が同じフィールドで活動してきたが、これでは軋轢が生じて当たり前だ。

投稿日:2016年09月12日
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日本の学校で長らく続けられてきた「部活動」では、学校にもよりますが、「ほどほどに楽しくやりたい人」と「全てを投げ打って勝ちに行く人」が一緒くたにされてきたのではないでしょうか。しかし、これでは軋轢が生じて当然です。お互いに目指すものが違うのですから。

部活動は学校から切り離し、「ほどほどに楽しくやりたい人」と「全てを投げ打って勝ちに行く人」を別々にするべきである。

  • 「ほどほどに楽しくやりたい人」と「全てを投げ打って勝ちに行く人」を無理やり一緒のフィールドで活動させると、活動日数などの面で軋轢が生じる(たくさん休みを取りたいVSガンガンやりたい)。「全てを投げ打って勝ちに行く人」に合わせれば、「ほどほどに楽しくやりたい人」は休みを犠牲にする事になる。かと言って「ほどほどに楽しくやりたい人」に合わせると、「全てを投げ打って勝ちに行く人」は上を目指すことが難しくなる。
  • この問題を解決するおそらく唯一の方法は、「ほどほどに楽しくやりたい人」と「全てを投げ打って勝ちに行く人」を別々のフィールドで活動させることである。学校の部活動を廃止解体し、参加者の各々が好きなクラブチーム等を選べるようにすればよい。「ほどほどに楽しくやりたい人」向けの同好会と「全てを投げ打って勝ちに行く人」向けのガチチームの両方を作る必要がある(体を壊すことがないように活動日数等の規制は必要だが)。
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リソースが限られている以上、何かを追加するなら何かを減らさなければならない。社会保障分野でもそうだし、教育分野でもそうだ。

投稿日:2016年09月11日
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人間が使用できる資源には、有限であるものが多いです。例えば時間は1日につき24時間であり、これを捻じ曲げることは出来ません。お金も無限に湧いてくるわけではないので、際限なく使用することは出来ません。限られたリソースをやりくりする以上、何かやることを追加するには、何かをやめる決断をすることになります。社会保障分野でも教育分野でもその他の分野でも同じです。

社会保障に際限なくお金を投入するわけにはいかないし、学校で教える内容を増やしすぎても時間が足りなくなるだけである。何かを取り去らなければならないことだってあるのだ。

  • 使用できる時間やお金には限りがある。限りがある中でやりくりをするわけだから、何かを新しくやろうとしたら、何かをやめなければならないこともある。何かをやめる決断ができなければ、財政破綻したり時間が足りなくなったりする。
  • 社会保障分野では、財政破綻を避けるためにはある程度の収入や資産がある人には負担をお願いし、集めた税金や保険料の範囲内で給付を行わなければならない。借金の増加を食い止め、将来世代への負担の先送りを止めなければならない。そのためには、様々な既得権にメスを入れざるをえないだろう。これ以上若者世代・将来世代の負担を増やしてはいけない。
  • 教育分野でも、これ以上教えることを増やすというのでは時間が足りなくなってしまう。かと言って休日を削ったら体のメンテナンスの時間が足りなくなるし、学校での勉強以外のことに割く時間が減ってしまう。やるべきことは厳選し、時間内に収まるようにしなければならない。時には「何をやらせるか」ではなく、「何をやめるか」の話をする必要がある。
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国会議員の「定数」削減は行わなくても良いかもしれないが、「報酬」の削減は行うべきかもしれない。

投稿日:2016年09月10日
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財政再建のために増税などの形で国民の負担を増加させるのならば、政治家自身も身を切る改革に協力することになるでしょう。その時には「議員定数削減」が話題になりますが、私としては「議員報酬削減」をまず先に行う必要があると考えます。

議員定数の削減は、国民が直接選出できる代表の数を削減することと同義。報酬のほうをカットすれば、直接選出できる代表の数は維持しながら歳出を削減できる。

  • 国会議員は、国民が直接選出する代表である。議員「定数」を削減してしまうと、代表の数が減ってしまい、少数意見がより軽視される恐れが出てきてしまう。1票の格差問題の解決も難しくなるだろう。よって、国会議員の頭数は減らすべきではない。
  • 頭数を減らす代わりに、一人あたりの「報酬」の方を削ればよい。国会議員は歳費(給料)以外にも様々な金が支給されるが、そちらも合わせてカットしたり、領収書の提出を義務付けたりすれば、結構な額を削れると思われる。あまりにも削り過ぎると優秀な人が来なくなる可能性があるのが難しいところだが、「国会議員も財政再建に協力しますよ」という姿勢を見せる必要はあると思う。
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「ゆとり世代を叩き直す」ために新人研修で自衛隊に体験入隊させる会社があるというが、それはいかがなものかと思う。少なくとも労働基準法を遵守しないような会社には社員に文句をいう資格はない。

投稿日:2016年09月09日
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最近は「新人研修に自衛隊への体験入隊をさせる」という会社もあるようですが、私としてはそれはいかがなものかと思います。軍隊的規律を新入社員に叩き込んで洗脳し、会社へ絶対服従させたいのでしょうか。

おかしな人はいつの時代も一定数は必ずいる。会社のほうがおかしいことだってある。過酷な新人研修は新人たちに恐怖を植え付け、将来の新人たちの意欲まで削ぎとってしまいかねない。

  • 最近は新人研修の一環として新入社員を自衛隊に体験入隊させる会社もあるようだが、社員に軍隊的規律を叩き込んで何をしたいのだろうか。集団行動に適応させ、滅私奉公の精神を注入するのだろうか?過酷な新人研修をするところもあるが、新人たちに恐怖を植え付けて奴隷のごとく支配するのが狙いだろうか。恐怖を植え付けても仕事の効率は上がらないと思うのだが。むしろ将来の新人たちの意欲まで削ぎとってしまう愚行に思える。
  • 「最近の若者は云々」は大昔から変わらず言われ続けてきた若者批判のセリフ。批判してる側の人間は若い時にきちんとしていたから批判する側に回っているのだろうか?自分自身がまともじゃないのに批判する側に回ったら容赦なく若者を批判していく人もいるのではないだろうか。これこそまさにダメな大人の見本(笑)。
  • 最近は「これだからゆとり世代は」というフレーズがよく使われるが、おかしな人はいつの時代にも必ずいる。レッテル貼りするのは楽かもしれないが、ゆとり世代や若者のすべてがダメだというわけではない。批判する側の人間や会社のほうがおかしいことだってある。労基法無視のブラック労働はおかしい以前に法律違反だし、労働時間以外に労働者を会社に拘束するのもおかしい。
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